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母の米寿のお祝い [暮らし、イベント]

2015年7月5日(日)

「母さん、おめでとう!」
「おばあちゃん、おめでとう!」

昭和2年生まれの母は今年88歳。
子供たち、孫たちで米寿のお祝いをすることになった。

実家がある栃木市の「すぎのや本陣」に私の子供たち、孫たちを
含め、全員というわけにはいかなかったが、13名集まった。

母は本当に嬉しそうだった。

2年前に他界した父が生前、よく口にしていたのが、
母と一緒に米寿のお祝いをすることだったが、
願いはかなわなかった。

それだけに、母がめでたく米寿を迎えることができて、子供としても
正直嬉しかった。

母は現在、兄夫婦と一緒に暮らしているが、
ずいぶん前から足腰が悪く、特にひざが痛いといっては嘆いていた。

ひとりで外出することもままならず、週一回デーサービスの施設に
行っているようだ。

最初は嫌がっていたので、なかば無理やり連れて行かれたみたい。
日中話し相手のいない母にとっては、結果的には良かったようで、
最近は行くのを楽しみにしているようだ。

母との思い出はいろいろあるが、
私を含め男5人兄弟。農家だったから、食べるほうはなんとかなったが
お金の面では大変だったと思う。

貧しさから抜け出すのには教育しかないと考えたのか、
母はよく「勉強しろ!勉強しなさい!」と、言っていた。

言うだけではなく実際、長男は商業高校卒業後就職したが、
あとの4人は大変な中、大学まで行かしてくれた。

父は農業のかたわら、宅建主任の資格を取って不動産業も手がけ、
おかげさまで弟と私は、大学生時代東京でマンション暮らしを
経験させてもらった。

その後やってきたのがオイルショック。就職難だ。

そんななか、母は着物の着付けの資格を取って
自宅で教室を開き、さらに出張指導、着物の販売でも成績優秀で
表彰されるほど頑張ったようで、
その話を聞くたびに、母の強さ、すごさに頭がさがります。

そんな母が、会うたびに老いていく姿を見るのはつらいものだ。

数年前から、2ヶ月ないし1ヶ月に一度、
妻と一緒に実家に顔を出すようにした。

車で片道1時間半かかる。
途中スーパーに立ち寄り母に電話を入れる。
欲しい物を聞いて買い物をしてから行くのがお決まりのパターン。
生前、父も楽しみにしていたようだ。

体のあちこちが悲鳴をあげている母がグチるのは仕方ないと
わかっていてもじっと聞いているのも大変。
聞き役はいつも妻におまかせ。 ゴメン!

今の母の状態は、生きていくこと自体つらそうだが
私としてはそれでも、1年でも2年でもいいから長生きしてほしいと
願っています。

8月、また会いに行くよ。
できの悪い息子より。



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